2014年01月26日

ウズベキスタン伝説

「戦いに敗れても日本人は、
誇りを失うことなく
骨身を惜しまず働いて立派な仕事を残した。
素晴らしい民族だ」



私達は以下のような内容を学校で教わりません。
与えられない為、
日本人を日本人が「戦犯」と呼ぶ国、日本。
与えられない為、
日本人の生き様から何かを学び取る機会も
感謝をする機会も
弔う機会もない日本人。


どうか知ってください。




「ウズベキスタンの桜番」

中東近辺にウズベキスタンという国があります。

そのウズベキスタンの首都都タシケント市に
国立ナポイ劇場があります。
この建物は、戦後間もない昭和23(1948)年に、
約2年の月日をかけて完成したものです。

タシケント市には、過去二度に渡り大地震が起こりました。
その際、市内の建造物は、ほとんどが倒壊しました。

しかし、
二度の大地震に、ナポイ劇場はビクともしなかった。

タケシントのウズベキスタン人たちは、
そんな劇場を眺め次のように言いました。

「戦いに敗れても日本人は誇りを失うことなく骨身を惜しまず働いて立派な仕事を残した。
素晴らしい民族だ」

もうお分かりいただけたでしょうか?
ナポイ劇場を作ったのは日本人のシベリア抑留者の方々なのです。

ナポイ劇場の建造は、500人の日本人抑留者が担当しました。
そのうち60人が、建築途中で亡くなられています。
10人にひとりが亡くなりました。

どれだけひどい環境下にあったか、その数字だけをみても明らかです。

日本人たちの様子については、
山崎豊子の小説「不毛地帯」に詳しく紹介されています。
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裸にされて並ばせられると、
すぐ前に立っている男の肛門まで、上から見えた。
ろくな食事も与えられず、全員がそこまでガリガリにやせ細っていた。
建設工事の途中、あまりの労苦に耐えかねたひとりの日本人が、
クレーンの先端まで駆け上がって「天皇陛下万歳!」と叫んで飛び降り自殺した
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ここでシベリア抑留について記載いたします。

シベリアに抑留された日本人は65万人。

シベリアに連行された日本人は、
旧満鉄の職員や技術者、関東軍の工兵たちなどです。
要するに技術者集団です。

ソ連は、ヤルタ協定を一方的に破棄して対日参戦しただけでなく、
満洲や朝鮮半島、樺太などを一方的に占有し、
日本軍から奪った武器弾薬兵器は、
シナの八路軍(中国共産党)や、北朝鮮金日成らに無料同然で売り渡しました。

そして、
日本人技術者たちを強制連行し
ソ連のインフラ整備のために無料で使役していました。

65万人の技術者集団を単に抑留するだけなら、
食費や施設の維持費等で、建国したてのソ連は大赤字となります。
それを、
給料無料、
ろくな食事も与ず、
日本人の持つ高い技術と能力、
旧満州にあった機械や設備をまるごと持ち帰り、
ソ連の建国のために使役しました。

道路敷設、
水力発電施設の建設、
鉄道施設の充実強化、
森林伐採、
農場経営、
建物建築等々

旧ソ連は、
莫大な国費を要するそれら国内インフラの整備事業を、
拉致した日本人65万人を使いソ連全土で展開しました。



ウズベキスタンに話を戻しましょう。

ウズベキスタンのタケシント市に抑留された2万5千人の日本人達も、
同じです。

運河や炭鉱などの建設や、
発電所、学校などの公共施設の建築などの強制労働につかされ、
過酷な気候条件と厳しい収容所生活、
栄養失調や病気、事故などで、
合計813人の日本人がこの地で亡くなられています。

実は日本人の造った道路や発電所などの施設は、
いまでもウズベキスタンの重要な社会インフラとして残っています。
(ウズベキスタンだけではなくロシアにも)
それどころか、
国立ナポイ劇場の建物などは、
いまやウズベキスタンの人たちの誇りとさえなっています。



ウズベキスタンの市民たちは、
劇場が建設された当時のことをよく覚えているといいます。

日本人たちが、
捕虜なのにどうしてあそこまで丁寧な仕事をするのか、
真面目に働くのか
不思議がったといいます。

中山恭子元内閣特命大臣がウズベキスタンに大使として赴任した、
平成11年。

中山氏は、ウズベキスタンにて
現在も国民に電気を供給している水力発電所の建設を仕切った
元現場監督に会ったそうです。

その元監督は、涙ながらに語ったそうです。

苛酷に働かされた工事でも、
決して手抜きをせずまじめに仕上げてしまう日本人。
栄養失調でボロボロの体になりながらも、愚痴も文句も言わないどころか、明るい笑顔さえあった日本人。
昨日、具合悪そうだったけれど、笑顔を向けてくれた日本人が、
今日は来ていない。
どうしたのかというと、昨夜栄養失調で死んだという。
それほどまでに過酷な情況にあってなお、
きちんとした仕事をしてくれた日本人。

現在、ウズベキスタンの母たちは子供にこう教えるそうです。
「日本人のようになりなさい」

ウズベキスタンの人はこうも言います。
「日本人の捕虜は正々堂々としていた。
ドイツ人捕虜が待遇改善を叫んでいたのに対して、彼らは戦いに敗れても日本のサムライの精神をもっていた。
強制労働でも粛々と作業につく姿を見て、我々市民は彼らに何度か食料を運んだのです。」


posted by @@ at 21:25| 東京 ☀| Comment(0) | 日本の良い話 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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