2014年02月10日

慰安婦は証拠無しの捏造

底検証!「従軍慰安婦」問題は朝日新聞の捏造から始まった 女性自身 8月29日(水)7時15分配信

’82年9月2日付けの朝日新聞では、昭和18年夏、わずか1週間で朝鮮・済州島の若い女性200人を狩り出したという吉田清治氏の懺悔が大々的に取り上げられていた。吉田氏は女工から海女まで手当たり次第に拉致し、慰安婦に仕立てあげたというのだ。
「当時、われわれは『狩り出し』という言葉を使っていた…泣き叫ぶというような生やさしいものではない。船に積み込まれる時には、全員が虚ろな目をして廃人のようになっていた…」

これ以後、吉田氏は朝日新聞紙面に何度も登場し、従軍慰安婦の悲惨さを語り尽くした。

だが、現代史家の秦郁彦氏はこう語る。
「吉田証言は完全な作り話なんです。証言が本になってすぐ現地の『済州新報』が取材しているが、一つも事実が見つからなかった。私も’92年に現地調査しましたが、証言を裏付ける話は何一つ出てこない。ある韓国の郷土史家は何年も調査し、拉致の事実はなかったと断言、吉田氏の本を『日本人の悪徳ぶりを示す軽薄な商魂の産物』とこき下ろしてるんです」
273 :可愛い奥様 :2012/10/11(木) 23:20:19.38 ID:GEHu7DU30
つまり吉田氏は本を売って儲けるため、嘘八百を並べ立てたというのだ。実際、吉田氏は「証言は捏造だった」と後に認めている。その後も、従軍慰安婦問題を取り上げ続けた朝日新聞も《氏の著述を裏付ける証言は出ておらず、真偽は確認できない》(’97年3月31日付)と暗に誤報を認めている。

しかし、この証言は独り歩きし、いまでは「日本軍が韓国人女性を性奴隷にした」という噂が国際的に広まってしまったのである。慰安婦問題は、この証言を始まりに日本の左翼が種を蒔き、それに韓国が乗っかって花を咲かせたのだ。秦氏は吉田氏を祭り上げた朝日や同調した歴史家の罪は重いと言う。


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2013年10月02日

慰安婦:悪質な嘘は止めようね _ 吉田清治証言は虚構じゃない

 済州島の人が慰安婦狩りを否定した理由

慰安婦を韓国で実際に強制連行したという当事者も名乗り出まし

た。当時、山口県の労務報国会で動員部長をしていた吉田清治さんです。
 




   吉田さんは1942年から終戦までの3年間に、陸軍西部軍司令部など
の指示に従い女性千人を含む朝鮮人6千人を強制連行したそうです。





   その中でも特にひどかったのは従軍慰安婦にされた女性たちの連行方法
で「4、5日から一週間で若い女性50人を調達しなければならなかったので
警察や軍を使って乳飲み子のいる若い母親にまで襲いかかり、奴隷狩りそのものだった」と吉田さんは語っています(北海道新聞、92.2.25)。




動員部長である吉田さんの弁によれば、吉田さんは済州島の各地で

強制連行をしたそうです。その証言に登場した城山の貝殻ボタン工場跡をテレ

ビ朝日が実際に取材しました。その報告はTV番組「ザ・スクープ、従軍慰安
婦Part2、戦争47年目の真実」(1992年)で放送されました。


   番組では、女性アナの田丸美寿々さんが現地で二人にインタビューしま
した。一人は城山の長老の洪さんです。田丸さんの質問「この工場から徴用さ
れた慰安婦がいるか」に対し、洪さんは

  「いないよ。いない。この辺にはいないよ。もしいたとすればよそから来た人だよ。何十人か連れていかれたという話もあるけれど、それは済州島の人
間じゃないよ」



と微妙な返答をしました。つまり、済州島の人間は連れていかれたことはない
が、よそから来た人は何十人か連れていかれたという話をきいていると、肯定
とも否定ともとれる返答をしました。

もう一人インタビューに応じた地元の女流作家、韓林花さんは番組でこ
う語っていました。
 


  「(地元の人は)みんな知らないふりをしている。口にしないようにして
いる問題なんです。日本に女まで供出したことを認めたくないという民族的自
尊心と、女は純潔性を何よりも最優先にするものだという民族的感情のせいな
のです」

この二人の話をつなぎ合わせると、番組のニュアンスは「強制連行」は
あったかも知れないという印象でした。
 


   韓国では身内や一族から「従軍慰安婦」を出したとあっては大変な恥で
す。こうした精神的風土から戦後、多くの「従軍慰安婦」の女性たちは故郷に
戻れませんでした。その上、自分が「従軍慰安婦」であった事実をひた隠しに
して生きざるを得ませんでした。

   そのあたりの事情をテレビ朝日は1991年に放送したTV番組「ザ・ス
クープ・追跡朝鮮人慰安婦、知られざる真実」で紹介していました。その時の
番組では、「従軍慰安婦」を多く出したとされる全羅南道のある市場で、妹を
連行された女性と周辺の人を取材しました。そのやりとりを記します。


アナ「(この辺で)女の人が狩り出された話を知っていますか?」
男性「(横にいる)ハルモニの妹が連れて行かれた」


アナ「どういう風に連れて行かれたのですか?」
男性「強制的にだよ・・・ここは儒教社会だから体面があってあまり話せない
   んだよ。自分の家から女子挺身隊を出したとなると、他の者の結婚にも
   さしつかえる・・・結婚してたら連れて行かれないというので、12か
   ら14歳くらいでみんな結婚させたんだよ。連れて行かれたらもう消息
   が途絶えちゃうんだ。行方不明の人多いよ」

アナ「おばあさんはそれから妹さんに会いましたか?」
ハンメ「会っていない。行方不明だよ。生きているのか死んでいるのかわからない」
(注)ハンメ、ハルモニ=おばあちゃん、おばあさん

さて、吉田証言にもどりますが、地元の新聞「済州島新聞」は強制連行
の事実を否定した記事をわざわざ載せたそうです(未確認)。これは韓林花さ
んのいう「民族的感情」を裏付けているのかも知れません。

一方、吉田さんを「職業的詐話師」と酷評している人もいます。千葉大
学の秦郁彦教授はクマラスワミさんにそのように非難したという記事が週刊新
潮(96.5.2)に掲載されたそうです。(未確認)

   吉田さんは、独立紀念館の近くにある韓国最大の集団墓地「望郷の丘」
に自費で「謝罪の碑」を建てました。これに対し秦教授は今度は「職業的演技
者」とでも呼ぶのでしょうか?


秦郁彦『慰安婦と戦場の性』批判

この著者は時々、まともな仕事もするのですが、しばしば人が変わったように、ずさんな仕事、あるいは人を誹謗中傷するような、因縁をつけるようなこともやります。この本は、ずさんな仕事の代表的なケースでしょう。
この小文でも紹介したような、写真や図表の無断盗用、資料の書換え・誤読・引用ミス、資料の混同、意味を捻じ曲げる恣意的な引用・抜粋などの例をリストアップしてみたのですが、膨大な量になりあきれてしまいました。どこかで公表しようかとも考えたこともありましたが、バカらしくなってやめました。それにしても人に対してはさんざん因縁をつけながら、自分の間違いを指摘されても無視して開き直るのには、驚くばかりです。

なお前田朗さんがこの本の「図版盗用」「写真盗用」「伝聞・憶測・捏造」などの問題点を詳細に批判されていますので御参照ください
(『季刊戦争責任研究』第27号、2000年3月、『マスコミ市民』370号、1999年10月、に掲載された前田論文参照)。 2002.12.17

資料の扱いもずさんさである。たとえば、一九三八年に内務省が陸軍からの依頼をうけて慰安婦の徴集の便宜を図った資料がある。この本では内務省警保局の課長が局長に出した伺い書が、内務省から各地方庁への「指示」に化けている。
さらに五府県に慰安婦の数を割当てているが、その人数がでたらめで、資料では合計が四〇〇人になるのに、氏の数字では六五〇人とされてしまっている。

引用も言葉を勝手に変えたり、付け加えたり、およそ研究者の仕事とは思えない(五六頁)。



秦郁彦は研究者でも学者でもない。 唯の詐欺師


『諸君!』2002年2月号秦郁彦氏の文章を嗤う


「ペリーの白旗書簡は明白な偽文書である」(『UP』2001年8月号)
 「極めて興味深い偽文書」(『歴史評論』2001年10月号)

 「Problematic Account in a Japanese History Textbook based on an Alleged Letter by Perry」(『歴史学研究』2001年10月号)
 『諸君!』に掲載された秦氏の文章は、上記の宮地氏の論考に対する「批判」を意図したものである。

宮地氏の論文の内容にかかわる批判は、いずれ宮地氏自身からなされるであろうから、深くは立ち入らないが、秦稿の中には、秦氏の研究者としての基礎的能力を疑わせる部分があるので、五点ほど指摘しておきたい。なお、秦稿からの引用文中にある[ ]内の部分は、筆者のつけた説明注である。
 
その1 
 秦稿112ページに次のような部分がある。

 松本(健一)、三輪(公忠)の両氏はいずれも右の著書(『白旗伝説』・『隠されたペリーの「白旗」』)で出典は、前記の『幕末外国関係文書之一』(東大史料編さん所)という公文書であると明記し、宮地氏もそう書いているので、この点についての争いはありえないはずだ。そうだとすれば、宮地氏は所属し、所管する機関の発行した公文書が偽文書であるゆえんを、「中学生にもわかる」ように立証する義務がある。

 まったく驚いたものである。『幕末外国関係文書』が公文書であるとは、およそ歴史の研究者の言葉とは思われない発言である。「公文書」とは公的機関が、その機関自身の意志を伝達、もしくは記録しておくために作成した書類のことである。『幕末外国関係文書』というのは、幕末の対外関係に関するさまざま史料を、東京大学史料編纂所が集成して刊行した史料集であって、刊行は明治43年に開始され、現在もなお継続中である。その中には幕府が発給したまさに公文書も掲載されていれば、個人の私的な日記でも、対外関係に関する記事があればそこの部分が掲載されている。当然、そこに掲載された史料だからといって、すべてがその時代の事実関係を誤りなく表現しているとは限らない。掲載されている史料をどこまで信用し、どこから疑ってかかるか、という点にこそ研究の研究たるゆえんがある。研究者の力量は、まさにそこでこそ試されている。史料集をさして公文書といい、公文書に書かれているのだから間違っているはずがない、などというのは、まともに歴史学を研究した経験のある人の言葉とは思われない。要するに、秦氏は史料集というものの性格がわかってないのである。
223投稿者:詐欺師_秦郁彦の流した害毒  投稿日:2007年05月05日(土) 10時07分17秒


その3
 秦稿118ページに次のようにある。

 宮地氏は各地に伝わっている風説書を列挙し、史料一一九[『幕末外国関係文書』巻1所収119号文書を指す]に似ているが変造したものが少なくないことから、そう[白旗関連の情報はすべて風説書にのみ現れると]推測しているようだが、逆もまた成り立つのではないか。つまり老中や海防掛を仰せつかった水戸斉昭などの高官を除き内密にされた白旗書簡が少しずつ洩れ、脚色されていったとも考えられるのである。
 それに斉昭が嘉永六年七月十日付で幕府へ提出した「海防愚存」という意見書にも白旗の話題が出てくるが、これまた風説書として片づけるわけにはいくまい。
 宮地氏は「海防愚存」については公式の幕政史料として分析し、「白旗書簡」実在論者たちの行った史料読解の誤りを指摘している(歴評論文,114頁)。すなわち、「海防愚存」に出てくる「白旗」とは、『新しい歴史教科書』に書かれているような性格のものではなく、ペリーたち自身に武力行使の意志がないことを表明するためのものだったというのである。「海防愚存」を白旗実在の証拠としようとするのならば、宮地氏のこの指摘に反論しなければならない。また、「強硬派の斉昭であれば、あらゆるところで利用して然るべきこの白旗書簡に、いかなるところでも全然言及していないのである」と、そもそも斉昭の政治的立場からして、仮にそのような事実があったとするならば本「書簡」の内容が「内密にされ」るべき必然性がないことも宮地氏は明確にしている。
つまり、秦氏は宮地論文の主張を正しく読みとることができていないのである。史料どころか、現代文を読解する能力にも欠けているようである。


従軍慰安婦が売春婦だという奴らの唯一の論拠になっているのがこの詐欺師 秦郁彦の本なんだからね.
こいつらに頭はあるのかな?

要するに、自分が慰安婦だった事がばれると親族一同村八分にされて生きていけなくなるから、真実を言う訳にはいかないのさ。
吉田さんは優しいから、そういう事情を酌んで、あえて自分の真実の発言を自ら否定せざるを得なくなったんだ。

これが売春婦に対する待遇?


日本軍「慰安婦」生活を強要されたキム・デイル女性の証言を聞いてみよう。

 「平壌が故郷だという、“ハナコ”と呼ばれた女子が妊娠したが、田中は酒をひどく飲んで入ってきて、彼女を倒して容赦なく腹を蹴り飛ばし、次に彼女の腹から胎児を取り出して投げ飛ばした。
 そして、朝鮮女性をみな集めてからそのはらわたを刃先で引き出して「慰安婦」の首にかけ、部屋の床の血をなめろと言った。
この時、多くの女子は気絶し、心臓が破裂して死んだ女子もいた。
 ある日、田中は大きい犬一匹を引いて入ってきて、犬に
「俺もしたから、お前もやれ」
とそそのかし、私に×××させた。
私が気を失って倒れると、冷水を浴びせて狂ったように襲いかかり、獣欲を満たした。
 さらに奴らは麻薬を吸わせた後、タバコにガソリンをつけて口や鼻、子宮に突っ込み、火をつけて火傷させた」
 日本兵は、ある「慰安婦」少女が必死に反抗したため、5匹の馬に彼女の腕と脚と首をくくり、引きちぎって殺したという。
かと思えば、ある女性が自分たちの要求に応じないため、「乞食」に「しつけ」をしてやるといい、彼女を木に逆さにぶら下げ、無理矢理襲いかかって銃卓で殴打した後、乳房をえぐり取って残忍に虐殺したという。
 日本兵は「慰安婦」が伝染病にかかれば、彼女らがいる「慰安所」に火を放ち、死体を川や山中に捨て、戦闘に敗れて追われる時には「慰安婦」を一列に並び立たせ、順に首を切り落とした。

『沈黙の叫び 日本軍「慰安婦」出身のおばあさんの声』


耐えかねて逃げようとした女を日本兵達が見せしめに縛り上げて乳房を短剣で
切り落とすと傷口から真っ白な脂肪が溢れ出してきて、やがてそこから血が流れ出した。

posted by @@ at 17:10| 東京 ☁| Comment(0) | 慰安婦 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年09月30日

慰安婦

1931年、満州事変において中国東北部を侵略して行った関東軍は、翌年には上海に戦闘を拡大し、この上海の地で初めて、 軍慰安所を設置した。やがて軍慰安婦は、軍のいるあらゆる場所に見られるようになった。
1937年、日本は中国に対する全面的な侵略を開始した。派遣された兵力80万人。そして占領した各地に軍慰安所を設置する。さらに 1941年から始まった太平洋戦争において初期に占領した各所にも軍慰安所を設置した。こうして膨大な数の慰安所が造られ、さらに膨大な軍慰 安婦達がいたのである。 
 
慰安婦について書いている戦記もの、日誌、日記、文学はゆうに100を超える。以下列挙する通りである。 
 
フィリピン  
『悲劇の将軍』『戦記バタアン半島』『落日のマニラ』『最前線爆雷製造部隊』『ルソン戦とフィリピン人』『比島軍医戦記』 『山中放浪』『虜人日記』『ミンダナオ島敗戦記』『敗兵』『回想のフィリピン戦線』 ・・・以下多数 
 
ミャンマー  
『ビルマ日記』『戦場と記者』『外科医戦場物語』『軍政』『ビルマの地獄戦』『最悪の戦場に奇跡は無かった』 『一下士官のビルマ戦記』『インパールの十字架』『狂風インパール最前線』・・・以下多数 
 
ボルネオ、スマトラ、ジャワなど  
『ある陸軍予備士官の手記』『海軍報道戦記』『セレベス戦記』『ぼくの大東亜戦争』『消灯ラッパと兵隊』『泣き虫軍医物語』『南海の青春』 『証言・太平洋戦争』・・・以下多数 
 
ニューブリテン、トラック、パラオなど  
『告白』『ガダルカナル』『ラバウルの落日』『自決命令』『玉砕戦の孤島に大義はなかった』『ブーゲンビル戦記』『南の空に下駄はいて』・・・以下多数 
 
中国  
『関東軍軍隊日記』『兵隊達の陸軍史』『どろんこの兵』『戦場と記者』『私の中国戦記』『憲兵余録』『ある日、赤紙がきて』『日本軍と 戦った日本兵』『ある将校の敗戦日記』『悪兵』・・以下多数 
 
その他のアジア各国  
『軍政』『戦場の狗』『敵・戦友・人間』『シンガポール収容所』『戦争の横顔』『南海のあけぼの』『インパールの十字架』『戦魂』 『戦中派の遺言』『ラサ島守備隊記』・・・以下多数 
 


慰安婦は圧倒的に朝鮮女性が多かった・・・ 
慰安婦にされた女性は、日本人、台湾人、韓国人、フィリピン人、インドネシア人、ベトナム人、マレー人、タイ人、ビルマ人、インド人、 華人、オランダ人などであった。1940年10月の性病感染調査*によれば、朝鮮人が50パーセント以上 を占めており、さらに「朝鮮人慰安婦」の記述は多くあり、 『赤紙兵隊記』 が「・・・・いわいる「ピー」と呼 ばれる女性達はほとんどが朝鮮娘であった」と証言しているように、全慰安婦の半数近くが朝鮮人慰安婦だったと言われている。 
posted by @@ at 16:53| Comment(0) | 慰安婦 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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